出島は扇型の人工島 長崎の中の異国、出島の暮らしを探検してみよう

dejima長崎の観光地
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長崎には扇の形をした出島という町があります。今は陸続きになって扇の形もよくわからなくなってしまいましたが、長崎港に浮かぶ扇の形をした小さな島でした。

長崎市は1996年から出島復元整備事業を行っており、最終完成は2050年。
出島を復元した島を作り、長崎の街と出島を結ぶ橋が最近完成しました。

この出島という町、実は江戸時代に作られた人工の島です。なんのために作られたのか、どうして扇の形なのか、どんな生活をしていたのか、他の土地にはない珍しい謎の人工の島、出島の不思議と魅力をお伝えいたします。

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出島の概要

長崎を代表する観光地のひとつ、出島は鎖国時代の江戸幕府によって考案されました。
鎖国中の日本で唯一貿易を許されていた長崎では、ポルトガルとの貿易が行われていました。
幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を防ぐことと、貿易を厳しく監視することを目的に長崎の岬の突端に島を作り、そこにポルトガル人を収容しました。

出島は当初、海を埋め立てて築いた島「築島(つきしま)」、または扇の形をしていることから「扇島」と呼ばれていました。大きさは東京ドームの約3分の1くらい。築造に2年かかりました。総工費は今のお金で約4億円。

出島建設は25人の町人によって出資されました。この町人達は「出島町人」と呼ばれ、長崎を代表する豪商でした。

出島が扇型の理由

どうして出島は扇型に作られたのでしょうか

扇型は波の影響を受けにくくする効果があるという「波よけ説」

中島川の河口に運ばれた土砂が積み上げられ、扇上の砂丘が形成され、それを土台に埋め立てた「地形、地質説」

当時の将軍徳川家光が、「長崎に作る島の形はいかがしましょうか」と尋ねられた時に、「これを見本にしなさい」と自分の扇を出して言ったという「将軍説」

さて、どれが本当かは定かではありませんがよく言われるのがこの3つの説です。

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出島の生活

ポルトガルとオランダ

出島には初め、ポルトガル人が居住していました。しかし、出島が完成した翌年に、島原の乱があり、キリスト教への締め付けが厳しくなりました。日本とポルトガルの間は険悪になり、貿易も中止され、ポルトガル人の渡航も禁止されました。これにより、3年で出島は無人島になってしまいました。

その後、平戸のオランダ商館が出島に移転され、それから218年の間、出島は貿易の窓口として活躍し、オランダ人の居住地となりました。

出島の人々

出島のオランダ商館では館長をはじめ貿易のための仕事をする人、医者、学者、バター職人、鍛冶屋職人等、オランダの人達は多い時で15人ほどでした。それとは別にオランダ人のお世話をする東南アジアの人や、多くの日本人が通訳、料理人、門番などの職に付き、全部で100人ほどが出島で暮らしていました。

シーボルト、ケンペル、シュンベリーというオランダの学者は、出島の三学者と呼ばれ日蘭学術や文化交流史において多大な貢献をしました。

出島で働く日本人は唯一オランダ人と交流できる人達でしたので、商館員が飲むコーヒーを飲んだり、お正月の宴会に招かれるなど、日本ではできない貴重な体験をすることができました。

出島のロマンス

オランダ商館が平戸にあった頃は、夫人の同伴や日本人女性と結婚するのが許されていましたが、出島に移されてからはそれらは厳しく禁止されていました。出島は男の世界ということで、女人禁制になっていたそうです。

唯一出入りできる女性が遊女でした。遊女達は丸山というところにある遊郭から出島の橋を渡って出入りしていました。オランダ人と遊女の恋話しもたくさんあったようです。

オランダ人とのロマンスで有名なシーボルトと遊女、其扇(そのぎ)=本名、お滝。二人の間に生まれた娘、楠本イネは日本人初の産科医として西洋医学を学んだことで知られています。
シーボルトは長崎にとっても重要な医学者です。彼については別の機会にじっくりお届けすることにしましょう。

出島の中でのお楽しみ

オランダ商館で働くオランダ人は出島から外出することを禁じられていました。オランダ人たちはまるで国立監獄のようだとその生活を嘆いていました。そんな中での楽しみとして「玉突き遊び(ビリヤード)」やバドミントン、庭園でのゴルフなどでした。

出島から出ることが出来ないオランダ人にとって一番の楽しみは、年に1度の江戸参府でした。これは商館長一行が将軍に拝礼するために江戸へ赴く行事で、行列を作って歩いていくオランダ人を日本人が見ることができ、またオランダ人も出島以外の日本を見ることが出来る貴重な習慣でした。

その他太陽暦の1月1日はオランダ商館に日本の役人を招待してオランダ正月を祝い、宴会を催しました。また、このお正月の前に「オランダ冬至」と称する催しがありましたが、これはクリスマスを密かに祝う行事でした。

お酒も楽しみのひとつで「ジェネバー」というお酒が大量に輸入されていました。ジェネバーはジンの一種で出島発掘でもジンの瓶の破片がたくさん見つかりました。

出島復元

長崎市は現在出島を復元する作業を長期計画で行っています。2017年冬に出島と長崎の街を結ぶ橋が完成しました。完成式には秋篠宮ご夫妻が来られて橋を渡られました。

復元された出島の中は昔の建物や通りを再現し、建物の中には貴重な資料や当時の生活の様子などを垣間見ることができる資料館になっています。

資料館だけではなく、長崎検番という芸者さんとのお座敷遊び体験や、着物を着て出島内を散策する着物体験、そして、トルコライスやド・ロ様そうめんなどが食べることができるレストランもあり、タイムスリップして出島を楽しむことができる場所になっています。

詳しくはこちらを参考にどうぞ
↓ ↓ ↓
出典:http://nagasakidejima.jp/

まとめ

  • 出島は貿易の監視とキリスト教布教を阻止するために作られた人工の島
  • 出島の扇型の理由には3つの説がある
  • 出島に住むオランダ人は外出禁止、女性の出入りも禁止の監獄状態だった
  • 長崎市による出島復元作業により出島は体験見学できる資料館になった

いかがでしたか?
日本の貿易の重要な役割を果たしていた出島、その中で異国の文化が長崎に継承されました。
今、まだ復元中の出島はこれからさらにいろんな建物の復元が進んで面白くなる場所です。
あなたもぜひ出島の異国文化を体験しに来んね(こんね)長崎!!へ

 

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