長崎といえば幕末のヒーロー、坂本龍馬を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
坂本龍馬ファンにとっては、長崎という場所は絶対にはずすことができない場所ですね。
龍馬は日本の株式会社の基礎を築き、日本初の海運業として、亀山社中、海援隊を長崎に作りました。鎖国中の日本を長崎から世界に羽ばたくことを夢に、この長崎の地で商業に励みながら、討幕運動にも奔走しました。
高知県土佐藩出身の坂本龍馬ですが、長崎に滞在したのはわずか二年。その短い期間にもかかわらず「長崎といえば坂本龍馬」と世間に思わせるほど、龍馬と長崎は深く結びつき、現在に至っています。
龍馬が愛した長崎には今でもいたるところに龍馬に関するものを見ることが出来ます。今回は長崎で坂本龍馬に出会える場所をお届けします。
坂本龍馬の人生
龍馬は高知県土佐藩の商家の家に坂本家の次男として生まれました。幼少期は町人気質の自由で合理的な考え方に触れながら剣術を学び育ちました。
成人してからは土佐藩で働いていましたが、時代は長い鎖国から開国への始まり、その渦中で龍馬は土佐藩を脱藩し、勝海舟に出会い、そこで航海術を学びます。そして勝海舟と共に長崎を訪れて1年後、龍馬は長崎の地に日本初の貿易会社を兼ねた政治結社「亀山社中」を作りました。
その後、「海援隊」という組織になり薩長同盟への道を作るなど商業に、政治にと奔走し、日本の夜明けを導く礎となりました。しかし志半ばで京都で暗殺。32歳の短い人生を終えました。
トーマス・グラバーと岩崎弥太郎
長崎の観光地のひとつグラバー邸はオランダ人の商人トーマス・グラバーのお屋敷です。
グラバーはあのキリンビールの創始者。グラバー商会を創設して貿易商を営んでいました。
武器商人であるグラバーは亀山社中の初仕事で銃を大量に取引し、それ以降グラバーと龍馬の関係は深くなってきます。
そしてもう一人。長崎といえば三菱。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎は、当時海援隊の会計を担当していました。海援隊が解散し、グラバー商会が倒産した後、岩崎弥太郎がこれらを引き受け三菱の礎を築きました。グラバーは三菱の相談役としても活躍しました。
龍馬とグラバー、岩崎弥太郎、この3人が長崎で深いつながりを持って活躍していたのです。
龍馬を巡る観光地
長崎は坂と階段の町です。亀山社中跡への道はそれを直に体験できるところです。
時間的には15分くらいの道のりですが、正直長崎に住む私達でもちょっとつらい道です。
亀山社中跡
航海術を学んだ龍馬は長崎の伊良林というところに「亀山社中」を創設しました。「亀山」とはこの地に住んでいた亀山一族のことです。「社中」とは人が集まるという意味があります。亀山社中には薩摩藩が出資をしています。これは今の株式会社の仕組みと同じです。
亀山社中は日本で初の株式会社形態の海運貿易商社でした。そしてこの亀山社中が後の「海援隊」という名前になります。
亀山社中跡にはいろんな展示物があります。
龍馬のブーツ(レプリカ)、紋福(複製)など当時龍馬が使用していたものや、書類、仲間たちとの写真そしてなんと、隠し部屋もあるんです。幕末の志士、坂本龍馬ならではですね。
龍馬のブーツ
「日本で初めてブーツをはいた男」としても有名な坂本龍馬。
亀山社中跡にもそのブーツは展示されてますが、少し離れたところに「龍馬のブーツ像」があります。
亀山社中跡は長崎の山の上にあります。そこから歩いて1~2分、長崎を一望できるところに
この「龍馬のブーツ像」があります。こちらは亀山社中創立130周年の時に記念として1995年に建立されました。足を中にいれることもできるので、龍馬が見たように長崎の景色を見渡して記念撮影をどうぞ。
龍馬通り
長崎市には寺町と呼ばれる場所があります。何件ものお寺が立ち並ぶ石畳の通りです。
寺町通りの一角から亀山社中までの道のりを「龍馬通り」と言います。
寺町のこの入口から入っていきます。ここから亀山社中までは坂道と階段です。
ところどころに後何メートルという案内がでています。
到着です。ここから1~2分のところに「龍馬のブーツ像」があります。
亀山社中跡へのアクセスなど詳しいことはこちらからどうぞ
↓ ↓ ↓
出典:http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/usage/index.html
まとめ
- 坂本龍馬と長崎は深い関係で結びついていた
- 龍馬のブーツ像は絶好の撮影スポット
- 亀山社中跡は龍馬の資料館
- 亀山社中跡へのアクセス方法
いかがでしたか?
日本の偉人、坂本龍馬は長崎と深い結びつきがあります。亀山社中跡は龍馬ファンには絶対はずせない場所ですが、観光の一つとしても見所は満載です。
龍馬のことを知りたいならぜひあなたも来んね(こんね)長崎へ!!
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